![]() 未就学児のための日本語教育は、どのような目的で、どのような役割を果たすものなのだろうか。学習者の年齢を考えると、成人のための外国語教育とは異なり、第一言語習得(母語習得)、第二言語習得、バイリンガル教育に関わる領域である。 ベーカーがその著書の中で指摘するように「教師は第二言語教育の基本的な目的や理由を変えることに力はないかもしれないが、教える上での自分の役割を理解することが大切である。第二言語教育には必ず政治的な意味がついてまわるし、中立でもなければ、価値判断を免れるものでもない。だからこそ、第二言語を教える教師は自分たちの目的をきちんと意識しなくてはならない。(p250)」だろう。 そこで、2013年9月から開始される4歳児〜6歳児の日本語クラスについて、第一言語習得研究・第二言語習得研究・バイリンガル教育研究での成果を参考にしながら考えることにする。まず、本校における日本語教育の種類、その教育形態をみてみる。 ⑴日本語教育の種類 「日本語」がある特定の社会においてどのような言語的位置づけや役割であるか、どのような目的で教育されているかによって次のように分類できる。 4歳児〜6歳児クラスの生徒の大半が「非永住外国人の子どもに対する日本語教育」と「保護者の国際結婚により家庭内言語が日本語と日本語以外の子どもに対する日本語教育」に当てはまり、「海外帰国児童生徒に対する日本語教育」に当てはまる生徒は少ない。このため外国語あるいは第二言語としての日本語教育と考えられる。 人が第一言語の次に学習する言語を第二言語と呼び、特に学習する言語(目標言語)が日常生活で使用されている環境にある場合、その言語を「第二言語」、目標言語が話されていない国や地域において、学校教育のカリキュラムの1教科として学習する場合は「外国語」と呼び区別されることが多い。日本語を学ぶ学習者を例にすると、日本で日本語を学ぶ場合は「第二言語としての日本語(JSL: Japanese as Second Language)」となり、海外や日本国内の外国人学校などで教科として学ぶ場合は「外国語としての日本語(JFL: Japanese as a Foreign Language)」となる。本校は、目標言語である日本語が日常生活で使用されている環境ではあるが、カリキュラムの1教科として学習される日本語であるため「外国語としての日本語」教育にあたる。 さらに、家庭内言語が日本語と日本語以外の生徒も対象となることから、バイリンガル教育にも関わる。バイリンガル教育は、バイリンガルを育成する教育、あるいはバイリンガルの子どもに対して行う教育を指す。その教育にはさまざまな形態があり、少数派言語集団の同化を優先させるものもあれば、言語の多様性を重視し多文化主義を目指すものもある。これらは二言語使用に「消極的な」バイリンガル教育と、「積極的な」バイリンガル教育に大きく分けられる。 「消極的な」バイリンガル教育として知られる代表的なものに、移行型バイリンガル教育とサブマージョン・プログラムがある。移行型バイリンガル教育は、生徒の言語を、家庭で使われている少数派言語から、社会の中で優勢な多数派言語へ移行させることを目指す教育である。多数派言語である第二言語のみで、通常の授業についていける語学力がついたと判断されるまでは、一時的に家庭の言語で授業を受けることができる。社会的、文化的に多数派言語集団へ同化させる同化主義的な目的を持つ。サブマージョン・プログラムでは、少数派言語集団の子どもも、多数派言語集団の通常の学校教育を受ける。つまり、少数派言語を話す生徒に対しても多数派言語のみで行う教育形態である。場合により、特別補習クラスや引き抜きクラスを設けて、多数派言語を教えることもある。生徒は、本体の授業から抜けて、多数派言語の「補習」授業を受けることになる。教室での家庭言語の使用を徐々に減らしながら、多数派言語の使用を増やしていく移行型バイリンガル教育とはこの点で異なる。サブマージョン・プログラムも、子どもの第一言語の能力が育成されることなく、多数派言語にとって代わられることになり、基本的に少数派言語話者を同化させることを目標としている。 「積極的な」バイリンガル教育では、維持型バイリンガル教育(相続言語バイリンガル教育)とイマージョン・プログラムが代表的なものである。維持型バイリンガル教育(相続言語バイリンガル教育)は、子どもの少数派言語を伸ばし、文化的アイデンティティーを強化することを目指すもので、国内の少数民族集団の権利を肯定する教育である。学校で少数派言語集団の子どもたちが自分の母語、民族や家庭の言語(相続言語)を教育の媒体として使用することで、二言語を充分に使用できるようになることを目標とする(例:アメリカのナバホ語やスペイン語で行われる教育など)。国によって呼び方が異なり、カリュキュラムの中で多数派言語が使用される割合もさまざまである。イマージョン・プログラムは、第二言語で学校教科を指導するバイリンガル教育で、多くは小学校など比較的早い時期に行われる。幼稚園や小学校低学年で開始する早期イマージョン、小学校高学年ではじめる中期イマージョン、中等教育からの後期イマージョンにわけられる。また、教科のすべてを第二言語で行う全面的イマージョンと、一部の科目のみ実施される部分的イマージョンとがあるが、これらの呼び方もプログラムの種類もさまざまで、同じイマージョン・プログラムでもいろいろと変型がある。 本校の日本語教育の位置づけは、外国語教育と呼ぶにふさわしいものであるが、バイリンガルの子どもを中心に考えると、その教育形態は、目的、内容、構造からみて「消極的な」バイリンガル教育にも当てはまるだろう。以下、「外国語」、「第二言語」、「バイリンガリズム(二言語使用)」を特に区別して論じなければならない場合を除き、「第二言語」という用語を使用する。 ⑵第二言語学習の理由 第二言語学習の理由は多様で重複する点も多いが、ベーカーは「イデオロギーに関わる理由」「国際社会に関わる理由」「個人に関わる理由」の3つに大きく分けている。 1. イデオロギーに関わる理由 第二言語学習の社会的、政治的理由を検討することで、その学習目的を同化主義的なものと、保護主義的なものとに分けることができる。たとえば、アメリカやイギリスで見られるように、少数派言語集団を速やかに主流社会へ統合することを目的とした第二言語教育の場合(例 ESL: English as a Second Languge)は、同化主義的イデオロギーに基づいた言語教育となる。一方、ニュージーランドの英語話者の子どもが、自分たちの少数派言語(マオリ語)を第二言語として学ぶような場合は、少数派言語の保持と強化が社会的な目的となり、保護主義的なイデオロギーに基づいた言語教育となる。前者は、多数派言語を第二言語として学ぶことで、第一言語である少数派言語やその文化がそこなわれる削減的な状況になり、後者は、第一言語を犠牲にすることなく、第二言語をつけ加えることで付加的な状況となる。また、第二言語学習には同化主義でもなく保護主義でもない、社会的な理由も存在する。それが、バイリンガリズムを通して言語集団間の調和を図ろうとするものである。カナダでは、2つの言語を持った社会の統合を目指して、フランス語話者の子どもが英語を学び、英語話者の子どもがフランス語を学んでいる。カナダでは、二言語使用と二文化主義を広く行き渡らせることが、社会を最良の形で統合することになると考える。 2. 国際社会に関わる理由 政治的でも社会的でもない言語学習の理由に、第二言語の教育者が提唱する国際的な理由がある。国際貿易で競争力を増すためであったり、大陸間の旅行のためであったり、情報化社会での情報入手の手段となることから第二、第三の言語学習が奨励されるものだ。カリフォルニア州教育庁の「外国語の基本的な枠組み(Foreign Language Framework)」のように、長期的で経済的な見地から、個人の第二言語の技能を高める必要があると謳っているものもあるし、統合が進むヨーロッパでは、3つ、4つの言語を習得することも珍しくはない。さらに、情報が権力につながる情報化社会では、複数の国際的な情報を入手することが、新しい知識や技術、さらには新しい理解へと導くのである。 3. 個人に関わる理由 個人が第二言語を学ぶ理由として4つの理由が頻繁にあげられる。その一つが文化的な意識のためである。国際的な感覚や意識を身につけることは、国家的な民族観や言語観のステレオタイプを解消するのに役立ち、グローバル化された世界ではこの文化的な感覚を深めることは必須とされる。また、第二言語を学ぶのは、伝統的に認知的な訓練のためと考えられてきた。歴史や地理、物理や科学、数学や音楽が、伝統的に知性を磨き鍛えるために教えられてきたように、現代の言語学習は精神を磨き、知性を高める方法として擁護されてきた。さらに、社会性、情緒、道徳の発達や、自我意識、自信、社会的・民族的価値を身につけるために、外国語を学ぶのである。就職や職歴のために学ぶこともある。少数派言語の子どもにとっても、多数派言語の子どもにとっても、第二、第三の言語を使えるようになることは、失業を免れ、より広い職業選択の可能性や、仕事での昇進につながることもある。 ベーカーが指摘しているように、いち教師に第二言語教育の基本的な目的や理由を変える力はないが、第二言語を教える者としてその目的は常に意識する必要がある。言語学を学んだ理由、教師としてのこれまでの経験を振り返ってみると、言語と文化的アイデンティティーとの関わりが「ことば」を学ぶ理由、また教える一番の目的となっている。グローバル化された世界であるからこそ、子どもたちが母語、民族や家庭の言語(相続言語)を伸ばし、文化的アイデンティティーを強化することが必須であると強く思うのである。 参考文献
Comments are closed.
|
Author細井洋実 ArchivesCategories |